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2008.07/21(Mon)

「わかりやすい物語」を作らない

私たちの周りには
「どうしてこんな事件が?」と疑問に思うような犯罪が
日々ニュースで流されている。
マスコミは、殺人犯の小学校時代の文集などを持ち出したり、
中学時代の友人にインタビューしたり、
こぞって「犯罪の理由探し」をしている。

7/21付読売新聞で
『秋葉原事件の理由探し』という記事があり、
そこには、重松清氏が展開する議論の要約が
書かれていた。


書き手は、事件を「最大公約数的な物語」にすること、
つまり「『わかる、わかる』と読者にうなずかせる物語にする作業」
に取り組むものである。
その点、容疑者を「雇用問題や格差社会の被害者」にしてしまえば、
今回の事件はきわめてわかりやすい物語になる。

しかし、受け手がこの最大公約数的な物語を
そのまま受け取るのはやめてほしい、という。
彼と似た「背景」や「状況」を背負っていたとしても、
そこで犯罪など犯さない多くの人たちがいる。
だから簡単に「わかって」ほしくはない。
「自分なら……」と問いかけて
自分なりに物語を組み立て直すことをしてほしい。



これは秋葉原事件に言及しての話だが
全ての犯罪において言えることではないだろうか?
たとえば最近起きた、女子中学生による父親殺傷事件。
まだどうしてこのような事が行われたのか
理由ははっきりしていない。
昔からよくあった
「親が勉強しろと言ってうるさかったから…」
という理由に今のところマスコミが持っていきたいような
そんな感じもする。
本当にそうなのだろうか?
そのような「わかりやすい物語」を作って
私たちは納得してしまってもいいのだろうか?

読売新聞の記事は、最後にこう結んでいる。


実のところ、事件の真相はなお明らかではないのだ。
「わかりたい」衝動を抑え、
「わからなさ」に耐えて
冷静な思考と議論を積み重ねていくことが、
いま求められている。



理由が分からない殺人事件は、
私たちを不安にさせる。
ただ、安易に理由を決めつけてしまうと
その条件に当てはまった人を
差別的な目で見かねない。
また、その理由だけに責任転嫁しかねない。
悲劇的な事件の再発を防ぐためにも
私たちは何度も「なぜ?」と
問いかける必要があるのではないだろうか。

テーマ : 思ったこと・感じたこと - ジャンル : 日記

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