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2008.07/10(Thu)

「生きていた」よすが

昨夜TVをつけた時、偶然やっていた番組に見入ってしまった。
NHK教育TV 『知るを楽しむ 細谷亮太 子供の命みつめて
という番組だった。
細谷亮太氏は、小児ガン専門のドクター。
昨夜のテーマは“病と闘う子どもたち”だった。

私が見た時は、もう番組は半ば過ぎだった。
同じ病室に、同い年くらいの男の子が2人
(2人とも5、6歳くらいだったろうか)
ベッドが隣り合わせに並んでいた。
片方の男の子は、ガンが脳にまで転移していて
目が見えない状態だった。
もう片方の男の子は、足が不自由だったようだ。

目の見えない男の子と足の不自由な男の子は仲良しで、
足の不自由な男の子は絵本を持って、
車いすで目の見えない男の子のところへ行こうとしてあげた。
ほんのわずかな距離だったのに
目の見えない男の子は
「気をつけてきてね」
と、相手の男の子に声をかけていた。
本当に仲の良さそうな2人だった。

足の不自由な男の子に外泊許可が出て
家へ帰った日、
目の見えない男の子は亡くなった。
足の不自由な男の子が病室へ戻ったとき、
隣のベッドは、もうきれいに片付けられていた。

大事な友達が亡くなってしまったことを
「○ちゃんは、星になったんだよ」
と、お母さんは説明したけれど
男の子は
「でも会いたいよ……」
と言っていた。
番組を観ていながら、私は涙が止まらなかった。

子供の“死に対する概念”というのは、
ごく幼い頃だと、死んだ人を見て
「眠っている」としか感じられないそうだ。
4~6歳になると
「どこかへお出かけしている」と思い、
もう二度と戻ってこないのだと理解するのは
10歳を過ぎてからなのだという。
でも、足の不自由な男の子は、自分の中で
仲良しの男の子の「死」を
もっと違った形で納得したようだった。

目の見えない男の子がいたベッド脇の窓に
その男の子が生きていた時から
ミニーちゃんのシールが貼られていた。
ミニーちゃんのシールは、
残された男の子にとって「とても大事なもの」に
なったのだそうだ。
はがして手元に置きたいというのではない。
今は星になってしまったかもしれない
仲良しの男の子が
たしかに自分の横にいて
話をしたり遊んだりしていたのだ。
その時にあったミニーちゃんのシールは
彼が生きていたことを思い起こす
「よすが」だったのだ。

それを感じることがとても大事なことなのだと、
細谷先生は言われていた。

死んでしまった人は、もう二度と戻ってこない。
でも、その人はたしかに存在していて
その人と過ごした時間があったのだと
忘れないで覚えていてあげることが
死んでしまった人にしてあげられる
唯一のことなのかもしれない。

小さな2人の男の子が
私に教えてくれたような気がする。

テーマ : 思ったこと・感じたこと - ジャンル : 日記

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