2009.08/07(Fri)
「語り継ぐ」ということ
娘と一緒に広島へ里帰りしていた時のこと。
電車が太田川にさしかかったとき、私の母が娘に
「原爆が落ちたとき、この川でたくさんの人が亡くなったんだよ」
と言った。
すると娘はきょとんとした顔で
「原爆って何?」
と聞いてきた。
母は続けていった。
「原爆っていうのは、たくさんの人を殺す爆弾のことだよ」
娘は「ふーん」と言ったきり、
あとは車窓の景色を見ているだけだった。
広島では小さな子供まで当たり前に知っている
「原爆」という言葉、原爆による悲劇を
東京の小学校に通う娘は知らなかった。
この先、娘は学校で
第二次世界大戦のこと、
広島と長崎に原爆が落とされたことを
きっと習うことだろう。
でも、私が中学生の時、
国語の先生が涙ながらに語った
「勤労奉仕で広島市内へ行く日、体調が悪くて自分だけ休んだら
市内へ行った同級生が全員原爆で亡くなった」
という体験者の話を聞く機会はあるのだろうか。
昨日は、64年前広島に原爆が投下された日。
TVに大きく映し出された
祖父と思われる人と小さな女の子が手を合わせる姿を見て
“語り継ぐことの大切さ”を考えさせられたのだった。
電車が太田川にさしかかったとき、私の母が娘に
「原爆が落ちたとき、この川でたくさんの人が亡くなったんだよ」
と言った。
すると娘はきょとんとした顔で
「原爆って何?」
と聞いてきた。
母は続けていった。
「原爆っていうのは、たくさんの人を殺す爆弾のことだよ」
娘は「ふーん」と言ったきり、
あとは車窓の景色を見ているだけだった。
広島では小さな子供まで当たり前に知っている
「原爆」という言葉、原爆による悲劇を
東京の小学校に通う娘は知らなかった。
この先、娘は学校で
第二次世界大戦のこと、
広島と長崎に原爆が落とされたことを
きっと習うことだろう。
でも、私が中学生の時、
国語の先生が涙ながらに語った
「勤労奉仕で広島市内へ行く日、体調が悪くて自分だけ休んだら
市内へ行った同級生が全員原爆で亡くなった」
という体験者の話を聞く機会はあるのだろうか。
昨日は、64年前広島に原爆が投下された日。
TVに大きく映し出された
祖父と思われる人と小さな女の子が手を合わせる姿を見て
“語り継ぐことの大切さ”を考えさせられたのだった。
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