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2008.08/21(Thu)

「ゴーグル」をする子供達

うちの娘が小学生になったとき、
学校の方から
プールの時、ゴーグルをしたい人は持ってきてください
と言われた。
最初からゴーグルをつけて水の中に入った娘は、
2年生になった今でも、
ゴーグルなしで
水の中で目を開けたことがない。
聞けば、ほとんどの子供達が
ゴーグルをつけてプールに入っているという。

小学生の頃から、
子供達にプールでゴーグルをつけさせる理由は、

1.プールの水に含まれる塩素が、目に悪いため

2.プールのあとで目を洗う時、眼圧がかかって
 目に良くないため


ということらしい。
「なるほどなあ……」とは思う。

でも、よく考えてみると……
「泳ぐ」ことを学ぶとき、最初に立ちふさがる難関って

水の中で目を開けること

なんじゃないだろうか?
まず、水への恐怖心を取り除き、
それから徐々に泳ぐための技術を習得させていく。

でも、今の子供達は
この最大の難関を
“ゴーグル”を使うことによって
あっさりと回避しているのだ。

ゴーグルを使って泳ぎを覚えた子供達は
大人になったとき
ゴーグルを持っていない場面で
泳ぐことはできるんだろうか?
それとも、中学や高校では
プールの時間、ゴーグルを使わせないのかな?

こういう「恐怖心」を伴うことって
あまりよく考えない子供時代の頃に
覚えさせてしまう方が、
あとあと楽な気もするんだけれど……

娘が使ったゴーグルを乾かしながら
一抹の不安がよぎった
夏の昼下がりであった。
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テーマ : 思ったこと・感じたこと - ジャンル : 日記

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2008.08/12(Tue)

贈る言葉

最近、赤塚不二夫氏の葬儀で
タモリさんが読んだ弔辞が話題になった。
報道などでは、一番最後に言っていた

私もあなたの数多くの作品の一つです

という言葉だけがクローズアップされていたが、
全文を読んでみると、本当に味わい深い、
そしてあの二人の関係だったからこそ
読めたものだったのだと思う。

この弔辞の中にあった

「私はあなたに生前お世話になりながら、
一言もお礼を言ったことがありません。
それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、
お礼を言うときに漂う
他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです」


という一文を読んで
自分のことを思い出した。

結婚式の時、一般的には
披露宴の最後で、花嫁から両親に
感謝の言葉を述べることが多い。
でも、私はそれをしなかった。
もちろん今まで育てて貰って感謝はしているけれど、
「ありがとうございました」とか
「お世話になりました」などという言葉が
とても空々しく感じられ、
それを言うことによって
私と両親が、何だか他人行儀な関係に
なってしまうような気がしたからだ。

同じように、末期ガンだった父と
最後に会ったときにも
私は感謝の言葉を言うことができなかった。
生きている父と交わす最後の言葉を
他人行儀なものにしたくなかったのだ。

だから私は、タモリさんが
生前の赤塚氏にお礼を言いたくなかった気持ちが
とてもよく分かった。

言葉に出さないと伝わらないことも多いけれど、
自分に近しい人たち
自分がとても愛している人たちには
言葉に出さなくても、気持ちが伝わって欲しい。
私たちは“他人”ではないのだから。

お父さん、
私はまさにあなたの「作品」です(笑)。
結婚式の時にも
葬儀の時にも
うまく言えなかったけれど、

ありがとう。
今まで育ててくれて
ありがとう。
本当にお世話になりました。

テーマ : 思ったこと・感じたこと - ジャンル : 日記

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