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2008.06/04(Wed)

「優しい」方へ「楽しい」方へ

ずいぶん前に読んだブログだが、
今でも時々読み返すことがある。

mellowmymindさんが書かれた
さびしさの運用についてという文章だ。

自分の中で、突然「さびしさ」を感じることがある。
他人から観て、どんなに恵まれた環境にあったとしても、
そのどうしようもない感情は生まれてきてしまう。
そして、それを持て余してしまうのだ。
この「さびしさ」をどうしたらいいのか。

> さびしさを動機にして人や自分を裁いても、
> よけいさびしくなるばかり。
> なにかを裁くということはなにかを切り捨てることだ。
> 一度切り捨てられたものは時間が止まってしまう。
> もうそこからは何もうまれないのでした。
> さびしいのに、いろんなものをどんどん切り捨てて、
> 自分さえも許せなくなって、
> 狭く、小さく、よけいさびしさを募らせるばかり。


そう、さびしいのは自分のせい、誰々のせいって決めつけて
自己嫌悪に陥ったり、誰かを憎んだりしても
さびしさが消えていくわけではない。
よけいさびしさが増すばかりなのだ。

じゃあ、さびしい時、どうしたらいいんだろう?

> それからもうひとつ気付いたことがありました。
> 「人が吸い寄せられるものは、優しい」ということ。
> 一見優しさとはかけはなれて見えるものでも、
> そこに人が吸い寄せられているならば、
> それはその人にとって優しいのだよ。
> この世にはわたしのしらない優しさが無数に存在していて、
> ただ見出だされるのを待っているのだと気付いたとき、
> 世界が変わって見えました。
> (中略)
> では、その優しさに反応する心とは何だろう。
> たぶんそれがさびしさなんじゃないか。
> そう思いました。
> 人それぞれが固有のさびしさを抱えていて、
> 固有の優しさに惹かれて、繋がって、
> 世界というのは出来上がっているようだ。
> そういう気がする。


さびしさは、優しさや楽しいものを引力する力で、
だから、自分が心惹かれるものに
とにかく「吸い寄せられてみる」こと。
何も考えず、素直に。

> 大人なんてさびしくて当たり前で、
> でもそれはただ優しさを指向する力で、
> だれのせいでもなくて、
> みじめに感じることもなくて、
> その力にさからわずに、
> 惹かれるままに、
> 自分のさがしているものを見つければいい。
> 会いたい人には会いたいといって、
> いきたいところには素直にとびこんで、
> 泣きたいときには思いっきり泣いて、
> さびしさでいろんなものとつながっていけばいい。
> わたしはこれからもきっとさびしい。
> でもそれでいい。


大人になってから感じる
「どうしようもないさびしさ」。
自分の身体の老いを感じるさびしさだったり、
大切な人を失うさびしさだったり、
うつろう季節のさびしさだったり、
そう、「無常のさびしさ」。

「無常」を嘆いても、意味を求めても
それは仕方のないこと。

自分に厳しく、相手に厳しく
毎日を過ごしていくより、
「優しい」方へ「楽しい」方へ
素直に惹かれていく自分でありたい。
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テーマ : 思ったこと・感じたこと - ジャンル : 日記

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