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2008.06/30(Mon)

間抜けなリファラスパム

ここのブログのアクセス解析を見て、
最近気がつくことがあった。

何度も同じリンク元URLでアクセスしてくる
ところがある。
FC2のスパムURLとして報告されていたようなので
ここに晒す。

http://blog/livesoor.jp/ryuji_s1

ん?
気がついた人はいるだろうか?

http://blog/livesoor.jp/ryuji_s1

そう、livedoor となっているはずのところが
なんとlivesoorになっているのだ!

これでは、誘導されたくても誘導できませ~ん(笑)。

ちなみにlivedoorとして検索したら、
イタリア料理のHPだった。
びっくりするくらいアフィリエイトが貼ってあったが、
書かれてある内容は、割と普通。
というか、画像もきれいだし、
レシピも一応ちゃんと書いてある。

プロフィールを見ると、毎日夕食を担当している
68歳の人らしい……
もしかして、本人も意図せず
スパマーになってしまっているのか?

私のブログの場合、
特にひどい被害を被っているわけではないけれど、
アクセス解析の統計を見て
「わあー!こんなにたくさんアクセスがっ!」
と喜んだ後で、
ほとんどこのリファラスパムだったりすると
がっかりしてしまうのです……

何とかならないものなんでしょうか?
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テーマ : とんでもねぇなぁこの事態 - ジャンル : 日記

14:14  |  所感  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.06/29(Sun)

(笑)を使うということ

パソコンや携帯を使って、
ブログ・メール・掲示板・チャットなどで
使われている顔文字や(笑)(汗)などのマーク
冗談めかしたことを書きやすいし、
内容に楽しさを添えることができる。
もちろん私もよく使っている。

でも……
最近、パソコンを使って
メール友達にメールを書くとき
極力顔文字や(笑)(汗)マークなどを
使わないようになった。
(携帯メールでは普通に使っているけれど)

これについて考えるようになったきっかけがある。
娘が幼稚園の頃、幼稚園の先生宛に
連絡帳へ少し長目の“手紙”を書くことがあって、
その時つい「(笑)」マークを
手書きしそうになったことがあった。

幼稚園の先生は、たいていみんな若い。
20代前半くらいまでの女性がほとんどだ。
でも、そんな先生達が連絡帳に書く文章、
娘の園内での様子を伝える文章には
(笑)や(汗)のマークがあるのを見たことがない。

当たり前と言えば当たり前の話かもしれないけれど、
顔文字や(笑)や(汗)などのマークを使えば使うほど
その文章は、軽くなる。
軽くなっても構わない場所、
例えば携帯メールや楽しい内容のブログや掲示板
そんなところでは、おおいに使ってもいいだろう。

でも、相手へ本当に「何か」を伝えたいとき
そういうとき、顔文字や(笑)(汗)に
頼りすぎるというのは
どんなもんだろう?

仮に相手へユーモアのあるメールを書きたいと思ったとき
顔文字や(笑)(汗)マークなどに頼らないと
相手へ伝えることができないほど
私の文章力はないのだろうか?
そんな風に考えるようになった。

それに、顔文字や(笑)(汗)マークをつけるときって、
キツいことや(男性の場合)セクハラめいたことを書いて
それをごまかすためにつけるっていうことも
多々あるようだし。

もちろん
「私はパソコンメールで、顔文字(笑)(汗)を
1個も使いません!」
と断言するつもりはない。
ただ、1通のメールにせいぜい1、2個くらいに
とどめておこうと努力している。

そうそう、たまに(爆)って書く人がいるけれど
これが一番萎えるかも。
「勝手に一人で爆発してろ!」
って、思いませんか?

テーマ : 思ったこと・感じたこと - ジャンル : 日記

11:03  |  所感  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2008.06/25(Wed)

だれか、むかえにきてよ……

今日は、娘の小学校で園芸ボランティアをやる日で、
いつものごとく雑草と格闘していた。

3時間目が始まった頃くらいだったろうか、
一人の男の子が教室へ入ろうとせず
作業をしている私たちのそばへやってきた。

「どうしたの?」
ボランティア仲間の、年配の女性が声をかけた。
するとその男の子は、半分泣き声で
事の詳細を話し始めた。

休み時間の時、一緒に遊んでいた男の子に
誤ってボールをぶつけてしまったらしい。
すると相手の男の子はひどく怒り、
謝る男の子を許そうとせず
逆に自分が、その男の子の顔へ
ボールを何回もぶつけてきたのだという。
そのことで、教室へ
入りづらくなってしまったらしいのだ。

聞けば、クラスは違うものの
娘と同じ小学2年生。
3時間目は国語の時間で、
もうだいぶ経っているというのに

誰も、彼を迎えに来ない……

先生は気づかないのだろうか?
仮に先生が気づかなかったとしても、
生徒は気づくだろう。
1年生から持ち上がりのクラスだし、
隣にいつもいるはずの友達がいなかったら
おかしいと思わないんだろうか?
ボールのことでケンカした男の子なんか
一番最初に気づきそうなものなのに。

私たちで、なだめすかして
何とかその男の子を教室へ戻そうとしたが、
彼はどうしても行きたくないと言って
走り出してしまった。

本当は
担任の先生や友達に
迎えに来て欲しかったんじゃないのかなあ。
その男の子の気持ちを思うと
無理矢理教室へひっぱっていく気には
どうしてもなれなかった。

結局、ボランティア仲間の一人が
職員室へ行って、他の先生を呼び出し、
その先生にお任せしたのだけれど。

とうとう最後まで
担任の先生も
友達も
彼を迎えに来てはくれなかった……

あの男の子の
今にも泣きそうな顔が
頭にこびりついて離れない。

テーマ : 思ったこと・感じたこと - ジャンル : 日記

12:55  |  子供  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2008.06/13(Fri)

10年!

本日、6月13日をもって、
私たち夫婦は

結婚11年目に突入した!

今日は「結婚10周年記念日」である。

10年前の今日は、こんなに天気も良くなかった。
今にも降り出しそうな空のもと、
遠方からもたくさんの人たちが来てくださった。

あれほどたくさんの人たちから
「おめでとうございます!」
って言われたことは
いまだかつてなかった私。
着物を着た私を
ドレスを着た私を
見知らぬ人たちまでもが
祝福してくれた。
そんな風に言ってもらえたことで
今日の私は、とても“幸せな人”なんだ…
と、やっと自覚することができた。
それまでの私は、
披露宴を無事に終わらせることばかり
頭にあって、
神経がとても張りつめていて、
自分の幸せをかみしめる余裕などなかったのだ。

披露宴前日、上京してきた両親と一緒に
三人でホテルに泊まった。
親子三人だけで過ごしたのは、それが最後だった。
もう父はこの世にいない。

遠方に住む両親に替わって
披露宴のドレスを一緒に見立ててくれた義母は、
杖をついて歩くのがやっとの身体になってしまった。

披露宴の最中、むずがっていたいた甥っ子は
もう中学生だ。

そして…
あの頃は、まだその片鱗もなかった私たちの「娘」が
今、ここにいる。

これから10年後、
私たちや
私たちのまわりの人々がどうなっているか
誰にも分からない。

だから、
今日この日を無事に迎えられたことを
感謝したいし、
これからの一日一日を大切に過ごしたい。
いつか私のもとからいなくなる人たちを
大切に愛していきたい。

そんなことを感じた、
結婚10周年記念日。

テーマ : 日々のつれづれ - ジャンル : 日記

12:22  |  所感  |  TB(0)  |  CM(3)  |  EDIT  |  Top↑

2008.06/10(Tue)

一生懸命 コミュニケーション

このブログの訪問者リストをチェックしていたら、
見知らぬ人が訪ねていてくれたことを発見し、
その人のブログへ訪問しに行った。

そうしたら…

その人は、もうこの世にいないことが分かった。

先月の初めまでは、ブログを更新していたようだった。
プロフィールのところに、近親者の方であろう、
亡くなったことが短く書かれていた。

その人は、
私のブログに何もコメントを書かれていなかったから、
どこを読んでくれたのかも
何を感じてくれたのかも
分からない。
その人がこの世を去る直前、
ほんの一瞬だけ
私とその人の人生が交わったような気がした。

当たり前のことだけれど、
人は
突然「死ぬ」ことがある。
秋葉原の事件のように、理不尽な犯罪に巻き込まれたり
交通事故に遭ったり、
突然病魔が襲ったり、
あるいは自ら死を選んだり。

今日、楽しく話をした人と
もう二度と会えないことだってあるのだ。

今日は「時の記念日」
昔、セイコーウオッチで制作されたCMが
今、話題になっているらしい。
その中で使われていた詩は、
「一秒の言葉」(小泉吉宏作)だった。


「一秒の言葉」(小泉吉宏作)

「はじめまして」
この一秒ほどの短い言葉に
一生のときめきを感じることがある

「ありがとう」
この一秒ほどの短い言葉に
人の優しさを知ることがある

「がんばって」
この一秒ほどの短い言葉で
勇気がよみがえってくることがある

「おめでとう」
この一秒ほどの短い言葉で
しあわせにあふれることがある

「ごめんなさい」
この一秒ほどの短い言葉に
人の弱さを見ることがある

「さようなら」
この一秒ほどの短い言葉が
一生の別れになる時がある

一秒に喜び 一秒に泣く

一生懸命 一秒

一生懸命 コミュニケーション



私たちは、お互いを儚い命と知りながら、
いつも「一生懸命コミュニケーション」
できているだろうか?

テーマ : 思ったこと・感じたこと - ジャンル : 日記

20:44  |  所感  |  TB(0)  |  CM(0)  |  EDIT  |  Top↑

2008.06/10(Tue)

おいしい「マクドナルド」を食べるために

子どもって、本当にマクドナルドが好きだ。
休日のお昼などによくせがまれる。
マクドナルドでバイトしたことがないのでよく分からないが、
細かいことまで全てマニュアル化されていると聞く。
だから、どの場所のマクドナルドで食べても、
たいした違いはないだろうとずっと思っていた。

が、やはり実際に作るのは、生身の人間。
マニュアル化通りにできないこともあるようだ。


●マクドナルドで美味しいポテトと不味いポテトを見分ける方法

大学時代4年間マクドナルドでバイトしていた人が、
マクドナルド商品の善し悪しを見分けるポイントを書いている。
それによると、

●ポテト編
タイマーが付いているかを見る。
→タイマーが消えているお店がかなり目に付くことが多く
 これは本来の冷めてしまったものを捨てなくてはいけない
 というルール
が守られていない可能性があるため。

量が適切に入っているかを見る。
中身がすかすかでごまかしているケースも時折ある。
→中身については、 箱ののりしろが
 ポテトの裏から見えてしまうようであれば
 金額に見合う量が入っていない。

トレーを渡すときに、
 Mマークが逆さまになっていないかを見る。

→マクドナルドではブランドイメージの徹底のために
 商品を出すときにはかならずロゴのMマークが
 お客様向きになっているようにして出す。
 なのでこれが徹底されていない店では、
 品質、サービスが低いという仮説がたつ。
(ただし「ポテトが取りづらい」という理由で、そのようにしない店もあるらしい)

ポテトを作っている人がやる気があるかを見る。
→挨拶をしているかを確認する。

油のきり方をチェックする。

古いポテトと新しいポテトを混ぜていないかを
 チェックする。


折れていないかをチェックする。


●ハンバーガー編
オーダーしてから出てくるのが60秒以内である。
→マクドナルドには、オーダーしてからサーブするまでの基準タイムがあり
通常60秒を過ぎてしまうと商品が冷めてしまうので、NGになる。
そのため60秒でサーブできるか否かは、そのお店の品質を現している。

ハンバーガーの持ち方はコの字で持っている。

店員はワンハンド、ワンアイテムなはずである。
→2つ以上を持つとハンバーガーがつぶれてしまうために、
NG事項。

キッチンにレタスが散らかっていない。

帽子をちゃんとかぶっている。


今まで、マクドナルドの商品を注文している間、
店員の様子とか厨房の中までなんて
チェックしたことなかった(汗)。
だって、ジロジロ見たら
店員さんが緊張して失敗するんじゃないかって、
そんなことを思っていたから。

今度から私、
マクドナルドの

すご~くいやな客

になります(笑)。

テーマ : 今日のつぶやき。 - ジャンル : 日記

16:04  |  所感  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

2008.06/04(Wed)

「優しい」方へ「楽しい」方へ

ずいぶん前に読んだブログだが、
今でも時々読み返すことがある。

mellowmymindさんが書かれた
さびしさの運用についてという文章だ。

自分の中で、突然「さびしさ」を感じることがある。
他人から観て、どんなに恵まれた環境にあったとしても、
そのどうしようもない感情は生まれてきてしまう。
そして、それを持て余してしまうのだ。
この「さびしさ」をどうしたらいいのか。

> さびしさを動機にして人や自分を裁いても、
> よけいさびしくなるばかり。
> なにかを裁くということはなにかを切り捨てることだ。
> 一度切り捨てられたものは時間が止まってしまう。
> もうそこからは何もうまれないのでした。
> さびしいのに、いろんなものをどんどん切り捨てて、
> 自分さえも許せなくなって、
> 狭く、小さく、よけいさびしさを募らせるばかり。


そう、さびしいのは自分のせい、誰々のせいって決めつけて
自己嫌悪に陥ったり、誰かを憎んだりしても
さびしさが消えていくわけではない。
よけいさびしさが増すばかりなのだ。

じゃあ、さびしい時、どうしたらいいんだろう?

> それからもうひとつ気付いたことがありました。
> 「人が吸い寄せられるものは、優しい」ということ。
> 一見優しさとはかけはなれて見えるものでも、
> そこに人が吸い寄せられているならば、
> それはその人にとって優しいのだよ。
> この世にはわたしのしらない優しさが無数に存在していて、
> ただ見出だされるのを待っているのだと気付いたとき、
> 世界が変わって見えました。
> (中略)
> では、その優しさに反応する心とは何だろう。
> たぶんそれがさびしさなんじゃないか。
> そう思いました。
> 人それぞれが固有のさびしさを抱えていて、
> 固有の優しさに惹かれて、繋がって、
> 世界というのは出来上がっているようだ。
> そういう気がする。


さびしさは、優しさや楽しいものを引力する力で、
だから、自分が心惹かれるものに
とにかく「吸い寄せられてみる」こと。
何も考えず、素直に。

> 大人なんてさびしくて当たり前で、
> でもそれはただ優しさを指向する力で、
> だれのせいでもなくて、
> みじめに感じることもなくて、
> その力にさからわずに、
> 惹かれるままに、
> 自分のさがしているものを見つければいい。
> 会いたい人には会いたいといって、
> いきたいところには素直にとびこんで、
> 泣きたいときには思いっきり泣いて、
> さびしさでいろんなものとつながっていけばいい。
> わたしはこれからもきっとさびしい。
> でもそれでいい。


大人になってから感じる
「どうしようもないさびしさ」。
自分の身体の老いを感じるさびしさだったり、
大切な人を失うさびしさだったり、
うつろう季節のさびしさだったり、
そう、「無常のさびしさ」。

「無常」を嘆いても、意味を求めても
それは仕方のないこと。

自分に厳しく、相手に厳しく
毎日を過ごしていくより、
「優しい」方へ「楽しい」方へ
素直に惹かれていく自分でありたい。

テーマ : 思ったこと・感じたこと - ジャンル : 日記

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