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2006.12/21(Thu)

エライことに… (;´Д`)

昨日、PCのコードに足をひっかけ、思い切り転倒した。
もうすぐ到着する娘の乗った幼稚園バスを気にし、もちろん足を引っかけた時テーブルから落ちたノートPCを気にし…で、転倒した時にぶつけた自分の右手の事は後回しだった。

娘のバスにも無事間に合い、PCも壊れていないようで一安心。
妙に右手は痛むが、外は寒いので湿布を買いに行くのも億劫。

その後、「痛いなあ…」と思いつつ、夕飯を作って、風呂の掃除をして、PCでカチャカチャ入力しているうちに気が付いた。

すっごく痛くて、右指が曲がらない!(;´Д`)

こんな時に限って、主人の帰りが遅い(泣)。
子供を風呂に入れるのも一苦労。
っていうか、自分の身体もうまく洗えない!

そんなこんなで、主人が帰ってきたのは、夜の10時過ぎ。
私の尋常ではない様子を見て、車で最寄りの医療センターへ直行。

骨折はしていなかったものの、完治するには最低でも一週間以上かかるとの診断。(´・ω・`)
今日、近所の整形外科病院にも行ってきた。

その結果がこれ。

te.jpg


医者から
右手を使わなければ、一週間くらいで治りますよ。」
と言われた。
が、一週間も右手を使わない生活なんて、私には考えられない。(;・∀・)
また、この医者からこんなことも言われた。
つまらないことに、手を使わないでくださいね!」

さてさて、ブログを書くのはつまらないこと?(;´∀`)
(いつもの倍以上の時間をかけて書きました 泣)

※私の怪我を骨折と偽って会社をずる休みしている主人を残し(笑) 23~28日まで広島へ里帰りしてきます。
年内のブログアップはこれが最後になるかもしれません。
皆様、楽しいクリスマス&よいお年を!
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テーマ : il||li _| ̄|○ il||li モウだめポ - ジャンル : 日記

14:19  |  所感  |  TB(0)  |  CM(6)  |  EDIT  |  Top↑

2006.12/18(Mon)

年賀状 今年こそ○○する?○○しない?

昨日、やっと年賀状を書き終えた。
宛名も裏の絵柄もみんなプリンターを使って印刷しているが、一応一言くらいは、手書きで書くようにしている。

年賀状に書く内容…
よくあるのが「今年こそ、○○します」といった、いわゆる自分の始めてみたいこと
一年の計は元旦にあり。
年賀状にこういった事を書くのは、別におかしくない。

が、これを「おかしいんじゃないの?」と言っている人がいた。
『ウェブ進化論』の著者である梅田望夫さんである。

昨年の年末にご自身のブログで書かれていたこと、それは

さあ来年は何を始めようか。そう考えるのではなく

「何をやめるか」を先に決めよう。

ということであった。

彼は、ブログの中でこう述べている。

新しく始める「何か」を決めるだけでは、できない場合がほとんど。
「時間の使い方の優先順位」を変えないと、新しいことを始める時間はなかなか捻出できない。とにかく「やめること」を決めなくちゃいけない。


これって、時間の使い方に限らず、色々当てはまりそうだ。
来年「こうありたい」と思うのは、今、その理想とは違う自分がいて、これには何らかの原因がある。

こうしたい、こうありたいと目標を掲げるだけでは、理想の自分に近づくことはできない。
理想の自分になれない「原因」は何なのか?
まずは、それを取り除くことを1年の目標にするべきなのではないか?

そして原因を取り除き、理想の自分になれたら、翌年の年賀状に目標達成の喜ばしいコメントを書けばいいと…。

梅田氏は、最後にこう書いている。

「さて来年こそは何か新しいことを始めよう」と考えている人は、「やめること」を先に考えよう。そっちのほうがうんと難しいからだ。

ホント、やめる方がうんと難しい。(;´∀`)


参考リンク:「やめること」を先に考えよう

テーマ : 日記 - ジャンル : 日記

14:45  |  所感  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

2006.12/12(Tue)

「お願いします」と言われても…

昨日、我が家に一人の若い男性がやって来た。

以下、インターフォン越しの会話

:「こんにちは~。南アフリカの○○○(国名失念)にいる、恵まれない人達を救うために募金を集めています。このコーヒーを買ってください。お願いします!」

モニターで見ると、外国語で書かれたようなパッケージの箱をいくつか持っている。
ちょっと考えていると、彼はさらに言葉を続けた。

:「私達は○○○(名前がよく聞こえなかった)というもので、ここに証明の写真もあります。」

たしかに、首から写真らしき物をぶらさげている。
だが、これだけで果たして"証明"と言えるのか?(;´Д`)

:「あのぉ、私、
コーヒー嫌いなものですから…。」

ウソである(笑)。
だって、胡散臭いんだもの。

:「いえ、そういう問題じゃないでしょ?
来月○○○へ援助に行きます。よろしくお願いします!」

ここまで男性の話を聞きながら、色々考えてみた。
まず、この男性の所属しているらしい団体が、怪しい。
ちゃんとした団体なら、こうやって一軒一軒まわらなくても、市や町に訴えて、広報誌などでもっと広く知らしめることができるのではないか?(その方が、よっぽど効率的)
あと、写真を首にぶらさげたくらいで、相手を納得させられると思ったら、大間違いだ。
水道工事の悪徳業者は、よく自分の写真を首にぶらさげて、さも認められている業者のようにしていることがよくある。(´・ω・`)

次に思ったのが、「コーヒーを買わせる」というやり方。
つまり「いくら募金してください」という金額が、決まっているわけだ。
赤い羽根募金でも、災害地募金でも、金額は特に決まっていない。
(赤十字募金は500円からだったかなあ?)
これらの募金活動は、とても有名なものであるし、募金をどのように使ったかは、何らかのメディアを通して知ることができる。

彼が来月、彼の地へ行ったとして、その活動を私はどのようにして知ることができるんだろう?

ただお金を募金してもらうだけではなくて、その発展途上国の自立のために、名産物を買ってもらうという考え方もあるかもしれない。
でもそれだったら、もっと日本人が喜んで使うような品物を作るべきなのではないか?

彼は、その手に持っているコーヒーを実際に飲んだんだろうか?
コーヒーに対する何のPRもせずに、「来月援助に行くから、コーヒーを買ってくれ」って言われてもなあ…。(´・ω・`)

私は、こう言うしかなかった。
違う形で、援助してますから… と。

日本は、毎年ODA(政府開発援助)に莫大なお金を使っている。
そのお金は、私達の税金だ。
ウソをついたという気持ちは、なかった。

その男性は「はい、分かりました」と言って、隣の家へ向かった。
何だか、後味の悪い出来事であった。

みんなは、こういう人が訪ねてきたら、どうしますか?(;´Д`)

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12:38  |  所感  |  TB(0)  |  CM(4)  |  EDIT  |  Top↑

2006.12/11(Mon)

ネットのお墓

父の肺癌の事があってから、癌を患っている方のHPやブログを見る事が多くなった。

肺癌の場合、発見しにくいのが原因なのか、見つかっても手術できないものが半数以上だったり、手術をしても治癒率が他の癌ほど良くなく、手術後の5年生存率は全体で50%をやや下回っているらしい。

そういうこともあってか、私が見つけたHPやブログのほとんどは、途中でプツンと終わっている事が多かった。
きっと志半ばで、もう更新できないほど体調が悪くなり、その後、亡くなられたのだろう。

そういう人達のHPやブログが、ネット上に残っている。
ご遺族の方達の意向で、そのまま残されていることが多いようだ。

それは、まるでネット上に建てられた、彼らの「お墓」のような気がする。

本物のお墓は、遺族や友人達など、亡くなった人に縁のある人達しか訪れないだろう。
また、亡くなってから何年も経ってしまえば、さすがに毎日お墓参りする人も滅多にいないはずだ。
お墓を前に、故人のことを思い出そうとしても、記憶は時間と共に薄れてきてしまうだろう。

でも、彼らがネット上に残したHPやブログの「お墓」は違う。
その中には、彼らの苦悩や努力の跡が、まるで昨日のことのようにはっきりと記されている。
何年経っても、その闘病記を読んで感動し、故人を偲ぶ人はいることだろう。

こういう「お墓」って、何だかいいなあって、思った。
お墓一つ建てるのも、ずいぶんお金がかかる時代。
お墓のある場所から遠くへ住む事になってしまったら、1年に1回墓参りに行くのも大変かもしれない。
何より、亡くなった本人がどんな事を思い、話していたかなんて、忘れていってしまうことだろう。

ネットに自分の日記を置いてもらえれば、気が向いた時、訪れてくれればいいし、お墓の管理も、変なコメントやトラックバックがついていたら削除してくれるだけで十分(笑)。

私も、もし自分の死期を知ることができたら、「その日」が来るまで、ブログに日記を書き続け、それを私の「お墓」にしてもらおうかなあ…。

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13:36  |  所感  |  TB(0)  |  CM(2)  |  EDIT  |  Top↑

2006.12/06(Wed)

事実を見つめて…

今まで、無意識のうちに事実を見ようとしなかったのかもしれない。
最近になって、やっと「肺癌」をネットで検索するようになった。

医学的用語や図解が満載のものは、なかなか理解するのが難しい。
だから、どうしても肺癌の当事者やその家族が作ったHPに目がいってしまう。

非常に生々しい記述に、思わず目を背けてしまいたくなることも、何度かあった。
それでも、「これから先、起こるのであろう"事実"を知らなければ」と思い、頑張って読んだ。

自らが肺癌に冒されたお医者様のHPは、自分の経験をふまえて、告知はどうするべきか、末期癌になった場合、自分はどうして欲しいかなどが、淡々と書かれていた。
そのお医者様は、死の一ヶ月近く前まで、PCを使って自分の闘病記を書き続け、モルヒネによる精神錯乱状態を自覚した日に「これ以上のHP更新は困難と判断す」と書き、そこで終わっていた。

もう1つのHPは、二人のお子さんを抱えた奥さんが、自分のご主人の肺癌闘病生活とその後について、書いたものだった。
やりきれない思いを文章に書きつつ、それでも驚くほど冷静な目でご主人の病状を書いていた。
ご主人を失った悲しみだけでなく、お葬式や財産のこと、保険のこと、今後の生活をどうするかやお子さんにどう接していくかなど、事細かに綴られた内容は、とても胸を打つものだった。

人は、「書くこと」で、何か救われるのかもしれない。

今まで、私の中の「癌」というものは、TVドラマにでてくるような絵空事に過ぎなかった。
美しいヒロインがベッドに横たわり、恋人が嘆き悲しむ中、そっと息を引き取る。
そんなイメージしかなかった。

他の病気もそうなのかもしれないけれど、癌とはまさに痛みや苦しみとの戦いなのだ。

いずれ息を引き取る父であっても、死ぬ前に痛みや苦しみから逃れることはできない。
肺癌は脳に転移しやすいそうなので、脳転移や痛み止めのモルヒネの多用で、精神錯乱状態が起きることも予想される。
そんな父の状態を、今後私達家族は見守っていかなければならない。

何度か、コメントやメールの中で書いた言葉だけれど、自分を励ます意味を込めて、また書こうと思う。

あなたが死にたいほどに辛く生きた今日は、
昨日死んだ人があれほど生きたいと願った今日

頑張って生きていかなければ…。


※参考リンク
肺癌医師のホームページ
Dear…

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