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2006.07/19(Wed)

「母親になる」ということ

秋田の児童殺害事件、畠山容疑者は、自分の子供も殺していたらしい。(ノД`)
秋田県警の捜査がちゃんとされていなかったのではないかということで、批判が集まっているようだ。

なぜ、秋田県警は彩香ちゃんの事件を最初に「事故」の方向で捜査してしまったのだろう?

自分の子供を探してくれとやってきた母親が子供を殺すはずがないという固定観念が頭のどこかにあったからではないだろうか?

母親になる」とはどういうことだろう?

子供を産めば、もう母親?

私は、断じて違うと思う!

それは、私が子供を産んだときに実感したのだ。
子供を産むまで、私は「子供を産んだら、もう私は母親なんだ」と思いこんでいた。
子供を愛おしく思い、子供のためならどんなことでも厭わない「母親になれるんだ」と思っていた。

子供を産んだ翌日、私は昨日と全く変わらない「私」だった。(;´∀`)
3時間おきに泣く子供におっぱいをあげるのも、泣きやむまでずっと抱っこしていたのも、全てが子供への愛情だけでできたものではなかったと、今思う。
「子供を産んだんだから、やらなくちゃいけない」という義務感もあったような気がする。

でも、そんな愛情と義務感が混じった気持ちで子供を育てるうちに、少しずつ「母親としての自覚」が芽生えてくるのではないだろうか?

ボーヴォワールの有名な格言に「人は女に生まれない。女になるのだ」というものがあるが、これと少し似ているような気がする。

子供を産んだからといって、母親が"誕生する"わけではない。
少しずつ母親になっていくのだ。
私は、そんな風に思っている。

辛くても、面倒でも、子供の世話をし、子供に愛情を与える。
この過程がなければ、子供を産んでも、その女性は本当の意味での「母親」にはなれないのではないか?

そういう意味で、畠山容疑者は「母親」ではなかったんだと思う。
彩香ちゃんにとっては、唯一無二の「母親」であったとしても…。
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テーマ : ひとりごと - ジャンル : 日記

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