2008.09/05(Fri)
いじけない
昨日、保護者会で娘の小学校へ行った。
保護者会が始まる前、
教室の壁に貼られていた子供の作品を見ていたら、
「二学期の目標」というのを
みんなが一人一人書いているものがあった。
一人3つ書くようだ。
さっそく自分の娘のものを探してみた。
あった、あった。
・さんすうのけいさんをがんばる
・かんじをたくさんおぼえる
私がいつも娘に
口を酸っぱくして言っていることだ(笑)。
一応自分でも気にしているらしい。
そして3つ目。
「ともだちとあそんでまけてもいじけない」
たしかにうちの子は、
夫とオセロとかして負けてしまうと
すぐいじけて勝負を途中で投げ出してしまう。
友達と遊んでいるときのことは見たことないが、
もしかしたら同じように
ふて腐れているのかも知れない。
でも、それが「よくないことだ」って
自分で気づいてくれたのが、
とてもうれしい!
これから先、色々な場面で
比較をされる機会が
多々あることだろう。
能力・才能を客観的に評価され、
傷つくこともあるだろう。
だからといって、
そこで「いじけて」終わったら
もう何の進歩もない。
まずは冷静に
自分の劣っている部分を認める。
その上で、
どうすれば自分は優れている人に
より近づくことができるのか、
考えてみるのが大事。
娘の成長を喜ぶと同時に
自分へ何度も言い聞かせたい言葉に会えた
昨日の保護者会だった。
保護者会が始まる前、
教室の壁に貼られていた子供の作品を見ていたら、
「二学期の目標」というのを
みんなが一人一人書いているものがあった。
一人3つ書くようだ。
さっそく自分の娘のものを探してみた。
あった、あった。
・さんすうのけいさんをがんばる
・かんじをたくさんおぼえる
私がいつも娘に
口を酸っぱくして言っていることだ(笑)。
一応自分でも気にしているらしい。
そして3つ目。
「ともだちとあそんでまけてもいじけない」
たしかにうちの子は、
夫とオセロとかして負けてしまうと
すぐいじけて勝負を途中で投げ出してしまう。
友達と遊んでいるときのことは見たことないが、
もしかしたら同じように
ふて腐れているのかも知れない。
でも、それが「よくないことだ」って
自分で気づいてくれたのが、
とてもうれしい!
これから先、色々な場面で
比較をされる機会が
多々あることだろう。
能力・才能を客観的に評価され、
傷つくこともあるだろう。
だからといって、
そこで「いじけて」終わったら
もう何の進歩もない。
まずは冷静に
自分の劣っている部分を認める。
その上で、
どうすれば自分は優れている人に
より近づくことができるのか、
考えてみるのが大事。
娘の成長を喜ぶと同時に
自分へ何度も言い聞かせたい言葉に会えた
昨日の保護者会だった。
2008.08/21(Thu)
「ゴーグル」をする子供達
うちの娘が小学生になったとき、
学校の方から
「プールの時、ゴーグルをしたい人は持ってきてください」
と言われた。
最初からゴーグルをつけて水の中に入った娘は、
2年生になった今でも、
ゴーグルなしで
水の中で目を開けたことがない。
聞けば、ほとんどの子供達が
ゴーグルをつけてプールに入っているという。
小学生の頃から、
子供達にプールでゴーグルをつけさせる理由は、
1.プールの水に含まれる塩素が、目に悪いため
2.プールのあとで目を洗う時、眼圧がかかって
目に良くないため
ということらしい。
「なるほどなあ……」とは思う。
でも、よく考えてみると……
「泳ぐ」ことを学ぶとき、最初に立ちふさがる難関って
水の中で目を開けること
なんじゃないだろうか?
まず、水への恐怖心を取り除き、
それから徐々に泳ぐための技術を習得させていく。
でも、今の子供達は
この最大の難関を
“ゴーグル”を使うことによって
あっさりと回避しているのだ。
ゴーグルを使って泳ぎを覚えた子供達は
大人になったとき
ゴーグルを持っていない場面で
泳ぐことはできるんだろうか?
それとも、中学や高校では
プールの時間、ゴーグルを使わせないのかな?
こういう「恐怖心」を伴うことって
あまりよく考えない子供時代の頃に
覚えさせてしまう方が、
あとあと楽な気もするんだけれど……
娘が使ったゴーグルを乾かしながら
一抹の不安がよぎった
夏の昼下がりであった。
学校の方から
「プールの時、ゴーグルをしたい人は持ってきてください」
と言われた。
最初からゴーグルをつけて水の中に入った娘は、
2年生になった今でも、
ゴーグルなしで
水の中で目を開けたことがない。
聞けば、ほとんどの子供達が
ゴーグルをつけてプールに入っているという。
小学生の頃から、
子供達にプールでゴーグルをつけさせる理由は、
1.プールの水に含まれる塩素が、目に悪いため
2.プールのあとで目を洗う時、眼圧がかかって
目に良くないため
ということらしい。
「なるほどなあ……」とは思う。
でも、よく考えてみると……
「泳ぐ」ことを学ぶとき、最初に立ちふさがる難関って
水の中で目を開けること
なんじゃないだろうか?
まず、水への恐怖心を取り除き、
それから徐々に泳ぐための技術を習得させていく。
でも、今の子供達は
この最大の難関を
“ゴーグル”を使うことによって
あっさりと回避しているのだ。
ゴーグルを使って泳ぎを覚えた子供達は
大人になったとき
ゴーグルを持っていない場面で
泳ぐことはできるんだろうか?
それとも、中学や高校では
プールの時間、ゴーグルを使わせないのかな?
こういう「恐怖心」を伴うことって
あまりよく考えない子供時代の頃に
覚えさせてしまう方が、
あとあと楽な気もするんだけれど……
娘が使ったゴーグルを乾かしながら
一抹の不安がよぎった
夏の昼下がりであった。
テーマ : 思ったこと・感じたこと - ジャンル : 日記
2008.08/12(Tue)
贈る言葉
最近、赤塚不二夫氏の葬儀で
タモリさんが読んだ弔辞が話題になった。
報道などでは、一番最後に言っていた
「私もあなたの数多くの作品の一つです」
という言葉だけがクローズアップされていたが、
全文を読んでみると、本当に味わい深い、
そしてあの二人の関係だったからこそ
読めたものだったのだと思う。
この弔辞の中にあった
「私はあなたに生前お世話になりながら、
一言もお礼を言ったことがありません。
それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、
お礼を言うときに漂う
他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです」
という一文を読んで
自分のことを思い出した。
結婚式の時、一般的には
披露宴の最後で、花嫁から両親に
感謝の言葉を述べることが多い。
でも、私はそれをしなかった。
もちろん今まで育てて貰って感謝はしているけれど、
「ありがとうございました」とか
「お世話になりました」などという言葉が
とても空々しく感じられ、
それを言うことによって
私と両親が、何だか他人行儀な関係に
なってしまうような気がしたからだ。
同じように、末期ガンだった父と
最後に会ったときにも
私は感謝の言葉を言うことができなかった。
生きている父と交わす最後の言葉を
他人行儀なものにしたくなかったのだ。
だから私は、タモリさんが
生前の赤塚氏にお礼を言いたくなかった気持ちが
とてもよく分かった。
言葉に出さないと伝わらないことも多いけれど、
自分に近しい人たち
自分がとても愛している人たちには
言葉に出さなくても、気持ちが伝わって欲しい。
私たちは“他人”ではないのだから。
お父さん、
私はまさにあなたの「作品」です(笑)。
結婚式の時にも
葬儀の時にも
うまく言えなかったけれど、
ありがとう。
今まで育ててくれて
ありがとう。
本当にお世話になりました。
タモリさんが読んだ弔辞が話題になった。
報道などでは、一番最後に言っていた
「私もあなたの数多くの作品の一つです」
という言葉だけがクローズアップされていたが、
全文を読んでみると、本当に味わい深い、
そしてあの二人の関係だったからこそ
読めたものだったのだと思う。
この弔辞の中にあった
「私はあなたに生前お世話になりながら、
一言もお礼を言ったことがありません。
それは肉親以上の関係であるあなたとの間に、
お礼を言うときに漂う
他人行儀な雰囲気がたまらなかったのです」
という一文を読んで
自分のことを思い出した。
結婚式の時、一般的には
披露宴の最後で、花嫁から両親に
感謝の言葉を述べることが多い。
でも、私はそれをしなかった。
もちろん今まで育てて貰って感謝はしているけれど、
「ありがとうございました」とか
「お世話になりました」などという言葉が
とても空々しく感じられ、
それを言うことによって
私と両親が、何だか他人行儀な関係に
なってしまうような気がしたからだ。
同じように、末期ガンだった父と
最後に会ったときにも
私は感謝の言葉を言うことができなかった。
生きている父と交わす最後の言葉を
他人行儀なものにしたくなかったのだ。
だから私は、タモリさんが
生前の赤塚氏にお礼を言いたくなかった気持ちが
とてもよく分かった。
言葉に出さないと伝わらないことも多いけれど、
自分に近しい人たち
自分がとても愛している人たちには
言葉に出さなくても、気持ちが伝わって欲しい。
私たちは“他人”ではないのだから。
お父さん、
私はまさにあなたの「作品」です(笑)。
結婚式の時にも
葬儀の時にも
うまく言えなかったけれど、
ありがとう。
今まで育ててくれて
ありがとう。
本当にお世話になりました。
テーマ : 思ったこと・感じたこと - ジャンル : 日記
2008.07/30(Wed)
里帰りします
いつも閲覧してくれる皆様、ありがとうございます!
書きたいことはたくさんあるのですが、
最近なかなか更新できません。
それに加えて、今日から広島の実家へ里帰りです。
戻ってきたら、もう少し頻繁に更新したいと思っているのですが、
どうなることやら……
それでは、行ってきます♪
書きたいことはたくさんあるのですが、
最近なかなか更新できません。
それに加えて、今日から広島の実家へ里帰りです。
戻ってきたら、もう少し頻繁に更新したいと思っているのですが、
どうなることやら……
それでは、行ってきます♪
2008.07/21(Mon)
「わかりやすい物語」を作らない
私たちの周りには
「どうしてこんな事件が?」と疑問に思うような犯罪が
日々ニュースで流されている。
マスコミは、殺人犯の小学校時代の文集などを持ち出したり、
中学時代の友人にインタビューしたり、
こぞって「犯罪の理由探し」をしている。
7/21付読売新聞で
『秋葉原事件の理由探し』という記事があり、
そこには、重松清氏が展開する議論の要約が
書かれていた。
書き手は、事件を「最大公約数的な物語」にすること、
つまり「『わかる、わかる』と読者にうなずかせる物語にする作業」
に取り組むものである。
その点、容疑者を「雇用問題や格差社会の被害者」にしてしまえば、
今回の事件はきわめてわかりやすい物語になる。
しかし、受け手がこの最大公約数的な物語を
そのまま受け取るのはやめてほしい、という。
彼と似た「背景」や「状況」を背負っていたとしても、
そこで犯罪など犯さない多くの人たちがいる。
だから簡単に「わかって」ほしくはない。
「自分なら……」と問いかけて
自分なりに物語を組み立て直すことをしてほしい。
これは秋葉原事件に言及しての話だが
全ての犯罪において言えることではないだろうか?
たとえば最近起きた、女子中学生による父親殺傷事件。
まだどうしてこのような事が行われたのか
理由ははっきりしていない。
昔からよくあった
「親が勉強しろと言ってうるさかったから…」
という理由に今のところマスコミが持っていきたいような
そんな感じもする。
本当にそうなのだろうか?
そのような「わかりやすい物語」を作って
私たちは納得してしまってもいいのだろうか?
読売新聞の記事は、最後にこう結んでいる。
実のところ、事件の真相はなお明らかではないのだ。
「わかりたい」衝動を抑え、
「わからなさ」に耐えて
冷静な思考と議論を積み重ねていくことが、
いま求められている。
理由が分からない殺人事件は、
私たちを不安にさせる。
ただ、安易に理由を決めつけてしまうと
その条件に当てはまった人を
差別的な目で見かねない。
また、その理由だけに責任転嫁しかねない。
悲劇的な事件の再発を防ぐためにも
私たちは何度も「なぜ?」と
問いかける必要があるのではないだろうか。
「どうしてこんな事件が?」と疑問に思うような犯罪が
日々ニュースで流されている。
マスコミは、殺人犯の小学校時代の文集などを持ち出したり、
中学時代の友人にインタビューしたり、
こぞって「犯罪の理由探し」をしている。
7/21付読売新聞で
『秋葉原事件の理由探し』という記事があり、
そこには、重松清氏が展開する議論の要約が
書かれていた。
書き手は、事件を「最大公約数的な物語」にすること、
つまり「『わかる、わかる』と読者にうなずかせる物語にする作業」
に取り組むものである。
その点、容疑者を「雇用問題や格差社会の被害者」にしてしまえば、
今回の事件はきわめてわかりやすい物語になる。
しかし、受け手がこの最大公約数的な物語を
そのまま受け取るのはやめてほしい、という。
彼と似た「背景」や「状況」を背負っていたとしても、
そこで犯罪など犯さない多くの人たちがいる。
だから簡単に「わかって」ほしくはない。
「自分なら……」と問いかけて
自分なりに物語を組み立て直すことをしてほしい。
これは秋葉原事件に言及しての話だが
全ての犯罪において言えることではないだろうか?
たとえば最近起きた、女子中学生による父親殺傷事件。
まだどうしてこのような事が行われたのか
理由ははっきりしていない。
昔からよくあった
「親が勉強しろと言ってうるさかったから…」
という理由に今のところマスコミが持っていきたいような
そんな感じもする。
本当にそうなのだろうか?
そのような「わかりやすい物語」を作って
私たちは納得してしまってもいいのだろうか?
読売新聞の記事は、最後にこう結んでいる。
実のところ、事件の真相はなお明らかではないのだ。
「わかりたい」衝動を抑え、
「わからなさ」に耐えて
冷静な思考と議論を積み重ねていくことが、
いま求められている。
理由が分からない殺人事件は、
私たちを不安にさせる。
ただ、安易に理由を決めつけてしまうと
その条件に当てはまった人を
差別的な目で見かねない。
また、その理由だけに責任転嫁しかねない。
悲劇的な事件の再発を防ぐためにも
私たちは何度も「なぜ?」と
問いかける必要があるのではないだろうか。
テーマ : 思ったこと・感じたこと - ジャンル : 日記